出ジャパン記

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2025年までに完全に日本脱出することが目標

ボランティアなどやる意味があるのか?

欧米の文化を見てみると、日本人はチャリティーやボランティアといったものに対しての関心が、先進国の中ではかなり低い方ではないかと感じる。チャリティー文化が盛んな欧米では、著名人が様々なチャリティープロジェクトに参加して世の中の問題や課題を多くの人に問いかける、という活動は至る所で見られる。影響力のある彼らがそのような発信をすることで、知らなかったことを知ることができ、自分に何ができるのかを考えるいい機会になる。一方、日本では芸能人が社会問題を提起すると、なぜか叩かれたりするケースすらある。ボランティアに関しても、自分の生活に忙しすぎてなかなか周りの問題に積極的に取り組む余裕がない、という人も多いと思う。なんでもかんでもビジネス、ビジネス、という風潮がある昨今、無償で自分の時間を割いて誰かのために何かをする、というのはたしかに割に合わないように聞こえる。では、ボランティアなど一体なんのためにやるのだろうか?

 

 

初めてボランティアをした経験

私はカンボジアで暮らしている間、月曜日から金曜日は会社で働き、毎週土曜日はNGO、Touch A Life(TAL)でボランティアをしていた。海外でのボランティアというのは多くの日本人にはあまり馴染みのないものかもしれないが、単一民族で島国、外に出なければ情報量が限られている日本人こそ、短期長期問わず海外でボランティアをするというのは、世界中に友達ができ、知らなかった世界を知る機会になると思う。このボランティア活動の思い出は、私のカンボジア生活の思い出の大部分を占めていて、週に一度の土曜日が楽しみで一週間を生きていた。人生に大きな影響を与え、沢山の学びを得ることができた素晴らしい機会だったので、なぜそれほどまでにボランティアでの経験が素敵なものなのかを伝えていきたい。

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TALの活動内容

Touch A Life(TAL)では、アンコールワットの外れにある村に住む家族や子供たちに栄養のある食事を届けたり、教育の機会を得られるサポートをしている。活動は毎週月曜日、水曜日、金曜日、土曜日で、平日は学校のお昼休みに、子供たちにお昼ご飯を提供している。ボランティアたちはTAL Houseと言われるTALの活動拠点である家に集まり、子供たちのお昼ご飯を作り、昼になると子供たちがTAL Houseにやってくる。平日は100人分もないのですぐに終わるが、土曜日は大仕事だ。朝8時頃から準備をし始めて、700人分以上の食事を作る。お昼にやってくる子供たちの分に加えて、村の家族たちに届ける分だ。朝早くから初めて、村に食事を届け、街に帰ってくるのは夕方6時頃。くたくたになるほどの長い一日だが、ボランティアだからもちろん無償。それでもお金以上に価値のある時間が過ごせる。それが一体なんなのかについてはこれ以降の部分で書きたいと思う。

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TALの創始者

まずはTALの創始者であるメイビスを紹介したい。メイビスはマレーシア生まれシンガポール育ちの中華系マレーシア人だ。以前はマレーシアで同様の活動をしていたが、カンボジアでの活動を始めてもう10年以上になる。彼女は本当に素晴らしい人間で、ボランティアや村の人々を家族のように想い、いつもくだらない冗談にみんなを巻き込んではヒヒヒと笑ってる。よく笑い、よく怒る人間味の溢れるみんなのお母さんだ。初めて会ったボランティアですら、一瞬で彼女のペースに飲み込まれ、ハッピーになれるカリスマ性のある人だ。初めてTALに行った日を今でもよく覚えてる。いつもの人見知りですごく緊張してTAL Houseに到着した私をHi Fumi!!!と笑顔で迎え入れてくれ、なんて暖かい人なんだと思った。それから2年連続で年越しを一緒に過ごした時は、年末年始にカンボジアを訪れる彼女の息子、娘たちとの貴重なファミリータイムにすら、あなたはファミリーだから、と何度も食事に招いてくれた。TAL Houseでの時間がみんなにとって楽しくて温かい場所であるのは、間違いなく彼女の努力の賜物だ。

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仲間との出会い

TALファミリーは、なにもメイビスの素敵な人柄だけで成り立っているものではない。ここにいるボランティアは、カンボジアに住んでいる外国人たち、レギュラーボランティアと、旅行でカンボジアに来ている間に参加している世界中から訪れるショートタームボランティアだ。レギュラーボランティア、ショートタームボランティア、TALで働くローカルスタッフ、ここに集まる人たちはみんながみんな素敵な人々だ。このような活動に参加するのだから、素敵な人たちが自然と集まるのは当然といえば当然だが、ある日メイビスが言ったTAL House is possibly the happiest spot on earthというのは間違いない事実だと思う。TAL Houseでは常に笑いが絶えず、メンバーはここで楽しい時間を過ごし、大抵は活動後にみんなでご飯を食べに行ったり、活動日でない日も飲みに行く仲だ。彼らと過ごした時間は私の人生で最も楽しかった時間のひとつだ。こういった一生の仲間に出会えるのもボランティア活動の魅力だ。一回もしくは数回しか来ないショートタームボランティアですら、滞在中は毎日のように会ったりする。TALで出会ったレギュラーボランティアはもちろんだが、ショートタームボランティアの母国を訪れた際にも、一緒に食事をしたり、家に呼んでもらったことがある。たった一度、旅先で出会った人間を家に招いて食事を振る舞う、というのはなかなかできることではない。それだけTALでの絆にはパワーがある、ということだ。だからこそ、旅行期間が比較的短い日本人にもおすすめだ。旅先でボランティアをして、世界中の人たちと友達になれるなんて、またとない素晴らしい機会だ。

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ボランティアとはなんなのか?

素晴らしい仲間に出会えることはもうわかっていただけたと思う。では、ボランティアとはいったいなんなのか?私も最初はあまりよくわかっていなかった。貧しい人々を助けてあげる?恵まれない人たちのサポート?なんとなくそんな風に思っていた。実際にやってみたら、想像していたものとは全然違った。そこにあったのは自己成長だった。私はTALでの活動を通して沢山学び、人間として沢山成長した。前述の通り、TALでは文字通り世界中の国から集まるボランティアたちと一つの目的を持って共に活動する。濃い一日を共に過ごす。それぞれがそれぞれのストーリーを持ちよってそこに集まっている。様々な価値観、人生観に触れることができ、自分の視野の狭さに気付かされることもある。自分は真面目に色々と考えすぎで、実はもっとシンプルに自分の欲求に従って生きてもいいんだ、と気付かされることもある。村に住むカンボジア人たちは、私の価値観とは全く違った価値観で人生を生きている。それらのどの生き方が正しいとかではなく、人生には本当にいろいろな形があることをTALでの出会いを通して学んだ。そして自分はどんなふうに生きていきたいのかを考える機会になった。ボランティアというのはGiveの作業のように見えて、実はTakeの作業が多いのだ。自分の時間や労力を費やす代わりに、沢山のものをもらう。普通の労働と変わりない。対価がお金ではなく、経験であったり、知識であったり、学びであったり、仲間であったりするだけだ。ただ、対価にお金が絡まないからか、その得られるものは濁りがなく純度が高かったりする。

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純度の高い笑顔

忘れられない光景がある。ある日、私たちはいつものように700人分の食事を作りパッキングをし、村に配達に向かった。いつもの家族といつもの子供たちが待っている。みんなに食事を配り終えた私たちは、再びトゥクトゥクに乗って走り出した。後ろを振り返ると、ある家族のおばあちゃんが笑顔で手を振ってくれていた。その笑顔があまりに純粋な屈託のないもので、神秘的すぎるほどに美しくて何故か涙が溢れてきた。あまり人前で泣くことがない私は驚いてトゥクトゥクの中の仲間に目を向けると、彼らも同じものを見て涙していた。人は本当に美しいものをみると涙が出るものなのだろう。それがカンボジアの田舎の貧しい村の中にあった。

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ボランティアで世界を変えられるの?

ボランティアをすることで世界を変えられるのだろうか。短期的に見れば、残念ながら答えはノーだと思う。ボランティアで世界を変えたい、貧困を無くしたい、というのは素晴らしい思いだ。でも、現実はそんなに簡単なものでもない。世界中のみんなが、それぞれが小さな積み重ねを何十年も続けていき、次の世代に繋いでいくことでしか、地球の未来は変えられないと思う。一緒にあのおばあちゃんの笑顔を見たボランティアたちの多くは、豊かな国から来た、ある程度豊かな人々だ。母国ではそれなりにいい仕事をして、それなりにいい暮らしをしている。あのおばあちゃんの笑顔を見て、お金をたくさん稼ぐことや、他の人より有名になることが果たして幸せなことなのか、人生の目的なのか、私と同じように混乱したと思う。でもきっとそれでいいのだと思う。その混乱だったり、自分の生き方への問いかけをする機会をもらえることが、私たち個人個人がボランティアをする意味なのかもしれない。世界を変える、誰かを救う、なんておこがましい。結局は人との関係はギブアンドテイクで、私は村のみんなに何をGiveできていたかはわからないけど、少なくとも栄養のある食事と一緒に笑顔で過ごす時間をGiveした代わりに、純粋な笑顔から人生の意義を考える機会だとか、自分と向き合う機会、一緒に頑張る仲間の大切さを学ぶ機会をTakeさせてもらった。世界のどこかの小さな村で行われている、そんな小さなギブアンドテイクの積み重ねが、世界をよくしていくのではないかと思う。だから真面目な日本人には、難しいことは考えずに、まずは行動をしてみて欲しい。ボランティアは決してGiveの作業だけではなく、それ以上にたくさんのものがTakeでき、それはあなたの人生に大きな影響を与えるかもしれない。私自身もこれからも様々なボランティア活動をして、自分の人生と世界をより良いものにしていきたいと思う。

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