出ジャパン記

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2025年までに完全に日本脱出することが目標

深夜のインドでおじさんたちに救われた話

さて、今回は名前も知らない、なんなら顔も全然覚えていないインド人おじさんたちのおかげで国境を越えられた話を紹介したいと思います。
2013年、大学4年生の夏、かねてから沢木耕太郎深夜特急を読んでバックパッカーに憧れていた私は初ひとりバックパッカー旅としてノープランアジア周遊旅を敢行しました。タイのバンコクから入りチェンマイ、アユタヤ、パタヤと旅し、陸路でカンボジアシェムリアップへ行き、プノンペンを経由してベトナムホーチミンへ。ホーチミンからバスで北上し、ニャチャン、ホイアンハノイを訪問。ハノイでインドへの航空券を購入し、ニューデリーへ。ニューデリーでインド人に嵌められ車でアグラー、ジャイプルへ。そこからは電車でジャイサルメール、デリー、バラナシを横断。バラナシからひたすらバスに揺られて国境を越えてネパールのポカラへ。その道中に食べた屋台のサモサで油にやられ食中毒になり、ネパールの国境を越えたあたりから高熱と嘔吐、下痢に苦しめられ、数日ポカラに滞在した後、死にそうになりながら旅の終着点カトマンズへ移動。挙句、カトマンズ空港で帰国を目前にして意識を失い倒れ、空港医務室に運ばれ点滴と薬を施され無事帰国しました。そんな楽しい思い出ばかりの旅でしたが、ちょっと怖い体験もいくつかしました。

それはインドのバラナシからネパールの国境へ向かっている時のことでした。バラナシから国境まではたしかバスで12時間くらいかかったんです。昼過ぎにバラナシを出発して、ひたすらバスに揺られて国境を目指して北へ向かいました。バラナシからのバスに乗っているのは全員インド人で、外国人は小さな東洋人の私ひとりでした。途中バスは停留所に止まってどんどん人は減っていきます。夕方になり外は暗くなるなか、バスはトイレ、軽食休憩に止まったりもするのですが、ただ停留所に止まったのか休憩に止まったのかもわからず不安そうにキョロキョロする東洋人に、「今は休憩で止まってるから、夕飯を買ってきたほうがいいよ。この先食べれる場所はないからね。」とわざわざ教えにきてくれた親切なインド人もいました。それで降りたところにあった屋台で、後に私を苦しめることになるサモサを購入したんです。そしてバスは再び国境へ。でも、地元の人たちで国境まで行く人なんていないんですね。だからもう0時を回って深夜になる頃にはバスの中には運転手と私ともう一人のインド人だけ。もう一人のインド人は一番後ろの席にいました。私は少し体調が悪くなってきたのと睡魔に襲われ、一番前の席を2席使って横になってました。横になって上を見ていると、もう一人のインド人が私の後ろの席に移動してきました。車内はガラガラなのにわざわざ私の後ろの席に。気持ち悪いなー気持ち悪いなー、怖いなー怖いなーと思いながらも横になっていたら、後ろの席から手が伸びてきました。最初は座席に手をかけてますよ、くらいの感じだったのがどんどん下へ下へ。私は念のため持っていたスイス・アーミーナイフに手を伸ばして、どうしよう??と考えていました。そうしているうちにも両手がもう目の前へ。どうする?!!

そこで急に”Hey!!!What are you doing!!!”と運転手のおじさんが後ろを振り向いて怒鳴ったのでした。私を指差して”You!!!!Come here!!!!”とブチ切れながら私を運転席の隣に呼びつけました。めっちゃキレてる!!こえぇ!!!と思いながらも急いで荷物を持って運転席の横へ走りました。手を伸ばしてきた男は次の駅で降りて行きました。その時は体調が悪かったのもあり、あまり深く考える余裕もなかったのですが、運転手が良い人で本当に助かったな、と。もし仮に運転手のおじさんも悪い人で、二人で共謀されたら私は終わりだったでしょう。インドの山奥で深夜に男2人と女1人、なにがあってもおかしくなかったです。運転手がまともな人で本当に良かった。その後、私は体調が更に悪化して、運転手の優しさにも安心して眠りに落ちてしまったのですが、バスは終点に着き、運転手に起こされ降ろされました。

終点に着いたのは深夜2時頃でした。バスの降り口にはリキシャーの運転手が待ち構えていました。寝起きで意識がまだしっかりしないなか、深夜なのにリキシャーもいるのかと驚きながらも他に選択肢はないのでリキシャーに乗り込みました。リキシャーはバス停から国境まで私を運び、クローズしているイミグレオフィスで私を降ろしました。深夜2時なのでイミグレが閉まってるのも当然なのですが、そもそも到着が深夜2時になるとは思ってなかったし、イミグレが閉まってるなんてことは考えてもいなかったです。今考えると無計画すぎて、怖いもの知らずすぎて呆れますが。これは夜が明けるまでここで待ってないといけないのか、なんて考えていたら、私を降ろしたリキシャーのおじさんが突然、イミグレオフィスのドアを力一杯叩いて、なにかを叫び始めました。いやいや、さすがにそれは無理でしょ、深夜2時よ?営業時間外でしょうよ、と思いながらも見ていました。すると、中からトランクスに白タンクトップの寝起き姿のおじさんが出てきました。そして眠い目を擦りながら私のパスポートにスタンプを押し、呆気に取られる私を尻目に、だるそうに中へ戻って行ったのです。

インドは国境を跨ぐ最後の最後までインドでした。

バスの運転手のおじさん、リキシャーのおじさん、イミグレのおじさん、3人のインド人おじさんが私をバトンして、深夜にインドからネパールへの国境を無事に跨がせてくれました。その中の1人でもその時間に仕事をしてくれていなかったら、もしくはその中の1人でも悪い人がいたら、一体どんなことになっていたのだろう、と考えると今になっては恐ろしいですが、若い時はそれくらい無茶しなきゃ人生つまらないですよね。Life is too short to play it safe.これからもこの時の冒険心を忘れずに生きていきたいと思います。

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